今日のメモ帳
ドライブイン
伊賀の名阪国道沿いにあるドライブインが、
3月末で55年の歴史に幕を閉じます。
昭和がどんどん遠くなりますね。
壁紙の色
先日、弊社事務所の壁紙を
貼替えして頂きました。
暗~い色だったので、
シンプルに白無地に変更。
事務所内が明るくなり、
体感温度もアップしました。
そんなの気のせいでしょ?って言う
そこのアナタ!
人間の視覚情報から来る体の変化を
馬鹿にしてはイケマセン!
例えば、、
とても美味しいラーメンがあったとします。
このラーメンのスープの色が、
青色と深緑色が混ざった色だとしても
美味しいと感じるでしょうか?
目から入ってくる情報を脳が認識した時点で、
「ま、まずそう」と思う訳です。
壁紙の色や柄も然り!
過ごす時間が長い空間は、
とにかく明るい色にしましょう ♪
運気もアップする気がします。
柚子湯
今日は冬至という事で、
柚子湯にしました。
湯舟に柚子を入れて、
お風呂を楽しむ。
何と粋な文化だ!と
思いました ♪
江戸時代の江戸っ子が
はじめたそうですね。
徳川家康について⑥
⑤のつづき
今回が最後の家康公の遺訓、
その六、
「及ばざるは過ぎたるより勝れり。」
足りないぐらいがちょうと良い、
と言う事ですね。
家康公の遺訓の中で、
私はこれが一番好きです。
健康や投資哲学、心のゆとり、
環境問題にも通じていますね。
但し、これを勘違いすると、
怠ける事にも通じてしまいそうですが。
徳川家康について⑤
④のつづき
家康公の遺訓、
その五、
「己を責めて人を責むるな。」
自分を責めて溜め込んだストレスは、
パーッと遊んで発散させてましょう!
と言う事ですね♪
誰も怒られないし経済は回るしで、
良い事だらけです♪
つづく
徳川家康について④
③のつづき
家康公の遺訓、
その四、
「勝つ事ばかり知りて、
負くる事知らざれば害その身に至る。」
家康公も武田信玄には痛い目に
遭いました。
つづく
徳川家康について③
②のつづき
家康公の遺訓、
その三、
「堪忍は無事長久の基、
怒りは敵と思え。」
家康公らしさが出た遺訓です♪
現代では、アンガーマネジメントと
でも言うでしょうか。
うちの嫁さんは超~短気なので、
家康公に学んで欲しいです♪
つづく
徳川家康について②
①のつづき
家康公の遺訓、
その二、
「不自由を常と思えば不足なし。
心に望み起こらば困窮したる時を思い出すべし。」
深いですね~♪
これが常に実践出来ている人ばかりなら、
争い事は起きませんね♪
現代では豊かになり、困窮した時を
思い出す事が無いかもしれません。。
実に恵まれた時代です。
つづく
徳川家康について①
信長・秀吉・家康の中で、
最も人間的に深そうなのは、
家康公だと思います。
ただの個人的な主観です♪
生い立ちやその生涯を語るのは、
ここでは割愛しますが、
家康が生まれたとされる、
愛知県岡崎城へ行きました。
岡崎城へ行った事ある方ならご存知でしょうが、
家康公の遺訓がございます。
その一、
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。」
深いですね~。私はせっかちなので、
なかなかこのような心境にはなれません。
重荷も背負って無いのかも。。。
つづく
明治大正生まれ
大正時代は大正15年(1926年)までです。
大正生まれの男子は、
6.4人に1人が戦争で亡くなっています。
まさに激動の時代です。
大正生まれの方々は、1945年の終戦を、
19歳~34歳で迎えた事になります。
青春真っ只中から働き盛りまでの方々が
焼け野原で過ごす事になりました。
そして、何もない焼け野原から
新幹線が開通する1964年まで僅か19年です。
この年は東京オリンピックもありました。
戦後の高度経済成長を支えた世代は、
紛れもなく明治大正時代の方々であり、
とても誇りに思います。
そしてその方々の教育を担った,
明治時代以前のご先祖様にも
感謝しかありません。
2018年に大正生まれの祖母が亡くなり、
身内に大正生まれがとうとうゼロになりました。
お正月のお年玉を笑顔でくれた祖父母も、
自身の幼少期には貰ってないはずなのに、と思うのです。
凋落していく日本、
しっかりせえ!と言われそうです。。