今日のメモ帳
家の立地について③
②のつづき
海沿いの家は、高潮の危険があります。
潮位が上がると、
土間の排水口から水が溢れる事が
あるようです。
こればかりはどうしようもありません。
又、潮風で建物が傷みます。錆びます。
眺望を取るか、それらリスクを取るかでしょう。
いろいろな立地条件がありますが、
ちょっと細かく考えてみれば、
これらの事は想像がつきます。
ダメだと思えば選ばなければいいだけです。
しかし、、
絶対に選ぶ事が出来ない条件がございます!
それは「ご近所さん」です。
近所に「ゴミ屋敷」があれば、
近くを通る度に不快な気分になります。
ゴキブリが増えたりし、
「なんだか、最近ゴキブリ多いね?!」となります。
生理的に合わない人や,
マナーの悪い人が住んでいれば、
顔を合わす度にストレスだったり。。
「ご近所さん」、これはもう「運」なのです。
人生最大の買い物である不動産ですが、
その良し悪しは、
実は「ご近所さん」が握っていると言っても
過言ではありません!(*_*)
家の立地について②
①のつづき
日当たりが良い家でも、山が近ければ、
これはこれで湿気や冷気がございます。
虫も半端なく出現します。
特によく見るのはカメムシ(屁こき虫)です。
カメムシは1ミリの隙間があれば侵入し、
押入れの布団で越冬します。
(ガムテープで取りましょう)
又、大雨が降れば、
山からの土砂水が敷地内に
流れ込む事もあるでしょう。
山や虫を愛している人以外は、
山に近い土地は避けられた方が
無難かと思います。
つづく
家の立地について①
家の「日当たり」は重要だと思います。
特に舞鶴は雨が多く、
湿気が多い土地柄なので、
「日当たり」が悪いと洗濯物が乾かず、
押入れやクロゼットの奥にはカビが生えます。
食器にもカビが生えます。
衣服や布団にも…
外壁にも生えます。
又、冬は冷えます。建物自体が冷えるからです。
という事は、
自分の家の南側の土地は重要だという事になります。
南側の土地に建物あれば、
必ず自分の家は日陰になるからです。
今は空き地でも、将来、
家やアパート・マンションが建つかも知れません。
南側が道路に面していたり、
公園だったりすれば、
半永久的に「日当たり」を確保した土地と
言えるでしょう。
つづく
言葉遊び?
上の熟語、「おうしょう」と読みます。
全く馴染みの無い言葉です。
左の「鞅(おう)」の意味は、
牛馬の首につけた革ヒモの意です。
現代で言えば、
犬の散歩の時の首ヒモの意味でも良いかと
思います。
右の「掌(しょう)」は、手のひらを意味します。
こちらは馴染みのある漢字です。
それがどうした?結局「鞅掌」の意味は何なの?
意味は「忙しい」なのですが、
なかなか味わい深い熟語だと思いませんか?
手のひらの中の革ヒモは、
しっかり握っていないと、
馬や犬が逃げてどっかに行ってしまいます。
「手が離せないくらい、忙しい」のです。(^o^)
中村春吉という男④
③のつづき
春吉(はるきち)のきな臭いエピソード。。
それは、春吉がインドを周遊中に、
黒ヒョウに遭遇しましたが、
殴り殺してその肉を食糧にしたとか、
ハイエナ親子に遭遇し、親ハイエナを殺して、
子供のハイエナを生け捕りにし、大使館を通じて
日本に送ったとか。
そのハイエナは東京上野動物園にて
飼われてた記録が現に残っているそうです。
ん~本当かな~??というエピソードですが。。
世界一周を達成し、
帰国後は、講演会で荒稼ぎ!
当時の日本人には外国の様子は
ほとんど分かりませんから、
春吉の経験談は珍しく興味深い事だったでしょう。
その後は、日露戦争前後の社会情勢にも関わらず、
満州・朝鮮半島と日本を度々行き来した為、
軍事スパイ疑惑も持ち上がったそうです。
本人は満更でも無いと否定も肯定もしなかったようで、
実にセルフプロデュースが巧いです。
晩年は霊能力者になり、
故郷の御手洗町で過ごしたとか。
ん~実にクセの強い御方です。(*_*)
御手洗町には春吉の展示のある博物館もあります。
しまなみの美しい町です。寄ってみて下さい。
御手洗町 伝統的建造物群保存地区
中村春吉という男③
②のつづき
英語が堪能な春吉(はるきち)は、
ハワイから数年で帰国後に
日本で英語塾を経営し、
かなりの生徒数を抱えていたようです。
そこで稼いだお金で自転車を購入し、
無銭世界一周旅行へ旅立ちます。
この時春吉31歳。
当時、一文無しで各地を放浪している人は、
そう珍しくなかったそうです。
しかし、世界一周となると話は別。
どうしても言葉の壁が立ち塞がります。
今でこそ海外旅行が珍しくない時代となりましたが、
明治初期の日本は、最近まで鎖国をしていた国です。
海を渡り異国に行くという発想は
なかなか無かったでしょう。
しかしながら、
春吉が育ったのは瀬戸内海の小島ですから、
船で海を渡ったりする事に
殆ど抵抗が無かったのかもしれません。
古来より朝鮮通信使が行き来していた航路でもありますから、
大陸からの人々に接する機会も
多かったのではないでしょうか。
ここまでは、「へぇ~凄い男がおったんやな~」
という話ですが、
春吉が大陸に渡ってからのエピソードが
少しきな臭いのです。
つづく
中村春吉という男②
①のつづき
中村春吉は、一銭も持たずに
自転車で世界一周した男として
有名です。
春吉が生きた明治初期は、
自転車(アメリカ製)はとても高価な代物で、
新品なら今のお金で300万円近くしたとか。
そんな大金をどうやって稼いだのか?!
実家が資産家だったのか?!
そうではありません。
実は春吉は20代前半にハワイに移住した事があり、
英語がペラペラだったのです。
ここら辺のキャリアが既に凄いです。
明治初期ですからね。。
そして日本に帰国後、開いた英語塾が大盛況!
そこで稼いだお金で自転車を買ったのです。
つづく
中村春吉という男①
中村春吉(はるきち)は、
明治4年に御手洗町という
瀬戸内海に浮かぶ美しい島に生まれました。
この方、なんと!一銭もお金を持たずに
世界一周旅行をした男として有名なのです。
移動手段は自転車です。
海を渡るのは当然船ですが、
船内で働いた対価として乗せてもらったそうです。
幼い頃から放浪癖があったようですが、
この「一銭も金を持たず」というのはなぜか?
春吉曰く、
「恐らく世界で誰も成し遂げた事ないだろうから、
ワシが世界初じゃ!」という事だそうです。
恐らく、自転車では世界初かも知れませんが、
徒歩で世界一周なら過去にいるのでは?と
思ってしまいます。。
つづく
西暦3000年の日本の人口
11月になり、
2019年も残すところ2ヶ月となりました。
来年2020年は、
日本でオリンピックが開催されます。
少子高齢化が進み、
日本の人口は右肩下がりです。
2025年には、65歳以上の人口は
全体の半数を占めると言われます。
2055年には、それが65%にまで膨れ上がります。
そして人口は既に1億人を切っています。
そしてそして、
この出生率のペースで西暦3000年まで行けば、
なんと、日本の人口は1000人!と予測されています。
またまた~ご冗談を、
と思われるでしょう。(^^;)
一体誰が予測してんのよ?
厚生労働省の一機関である「国立人口問題研究所」の
予測です。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/20123205.pdf
(上のリンクの400ページ)
いや~、980年も先の話ですからねえ。
それまでにナントカ。。